古座街道
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![]() 祓の宮 |
![]() 例祭に向かう舟 |
![]() シトギの餅 |
情報提供:古座川街道やどやの会
串本町中湊(旧古座町中湊)の玉川家の墓所に、熊野各地の地理、歴史、故事等を記載した、熊野研究には欠かせない名著『熊野巡覧記』の著者「玉川玄龍」の墓があります。玉川玄龍は泉州堺出身の医師で、本名を「武内養浩」といい、安永元年(1772年)に40歳のとき中湊村に移住。古座川の清流に感動し、姓を玉川と改めたといわれます。博覧強記で、森羅万象に通じ、多くの書を著したといわれますが、明治10年頃の火災で、蔵書がすべて焼失してしまいました。現在は『熊野巡覧記』の写本が古座高校や東京教育大学(現筑波大学)などに残るのみです。天保10年(1839年)に完成した『紀伊続風土記』が世に出る前に、これだけの地誌を著したことは偉業として高く評価されています。
玉川玄龍の業績としてもうひとつ特筆すべきは、ペリーの黒船来航より半世紀以上前の寛政3年(1791年)、古座の九龍島と紀伊大島の間に米国商船レイディ・ワシントン号が停泊した際に、中国人の乗り組み員と筆談を交わしたことで、その後、紀州藩から通訳官に任命され俸給を受け取っています。
玉川玄龍は文化10年(1813年)、80歳で没しました。墓石は大きな鬼御影でつくられ、本名の武内養浩と刻まれています。(2012.5.1)
情報提供:古座川街道やどやの会
明治中期までの旧古座街道は、熊野中道(メインルート)と位置づけられ、佐本川方面経由で現在の上富田町朝来(あっそ)までが道筋となっていました。古座川町長追(ながおい)から佐本川に入り、福井谷集落跡から石段・石畳の残る坂道を上がり、峠を越えて、田鶴平から矢五郎坂を下り、現在のすさみ町佐本深谷へと抜ける街道は、炭などを運ぶ物流ルートとして使われ、途中には役の行者像などの石仏も祀られ、修験者や巡礼も通行した古道の趣きが残るルートです。「矢五郎坂」とは射られた矢を手でつかみ取ったという伝説の武将にちなむ名で、田鶴平(たずだいら)には城塞があったといわれています。なお、長追から佐本川に沿って田鶴平に上がり佐本深谷に抜ける道もありますが、これは近代に整備された県道で、車が通れる部分は古座川町とすさみ町の境界までです。(2012.4.22)
![]() 旧古座街道1 |
![]() 旧古座街道2 |
![]() 旧古座街道3 |
情報提供:古座川街道やどやの会
古座川町潤野(うるの)の名勝「三山冠」の肩から流れ落ちる「下ノ滝」は落差約20mの水量の多い滝です。潤野は古座川筋では数少ない広い耕地面積がある米所で、この滝はその水源にもなっています。滝壺から水路が引かれていますが、途中にシカ避けの高いフェンスがあり、正面から滝を眺めるのは困難です。潤野集落の下流山側から滝方面に林道が通っており、滝の上には容易に行くことができます。滝の上には不動明王と如意輪観音が祀られており、滝行の場であったのかもしれません。5月には滝の上から三山冠の山頂にかけて自生のシャクナゲが開花しますが、これほど標高の低いところに咲くシャクナゲは大変珍しいそうです。(2012.3.15)
![]() 潤野下の滝 |
![]() 如意輪観音 |
情報提供:古座川街道やどやの会
古座川町の国王山は、月野瀬からほぼ北約10kmの奥深い山です。古座川町には後南朝の後裔との伝承をもつ朝里氏関連の遺跡が点在しています。この国王山は、朝里氏(南朝最後の天皇である後亀山天皇の孫の融仁王(みちひとおう)の子孫といわれている)が、追手を逃れ各地を転々とした後、たどり着いたところです。そして、世の中が安定した江戸時代になって後亀山天皇以下の祖霊を国皇大神(こくおうおおがみ=地元ではオガミ様)として国王山に祀り、ふもとの7ヶ村の氏神としました。山頂のお宮には各村からの参詣道が通じていますが、現在は林道武者屋敷(むじやしき)線沿いの場所に遷座され、毎年3月15日に近い日曜日に例祭が催されています。
現在、山頂の宮跡にはは白木の柱が建てられていますが、そこからは紀伊大島などを望む絶景が広がり、ふもとからの参詣道には世界遺産大辺路長井坂にみられるような版築構造の道がいくつかつくられ、登山道としても楽しめます。(2012.2.21)
![]() 国王山山頂の宮跡 |
![]() 版築構造の山道 |
![]() 山頂からの眺望 |
情報提供:古座川街道やどやの会
毎年1月12日に、山深い古座川町峰地区にある「峯の薬師堂」例祭が行われます。本尊は薬師如来で、薬師三尊像と両扉に仏法を護持する十二神将像が納められた厨子は秘仏として、年一回、この日だけ終日(7:00-17:00)ご開帳されます。
薬師堂の由来はよくわかっていませんが、熊野に隠れ住んだ平維盛の息子の六代が、京都から父に会いに来た折に寄進して行ったとする伝説もあります。
峰地区は今は住民2人しかいませんが、例祭には、ここを出自とする人々や、薬師如来の霊験にあやかろうとする近隣の人々で賑わいます。法要は午前10時から行われますが、以前は山伏による護摩供養も行われていたそうです。(2012.1.13)
![]() 薬師三尊像 |
![]() 参拝者の数々 |
情報提供:古座川街道やどやの会
古座川町高池の祥源寺(臨済宗妙心寺派)は天正年間(1573-1592年)の創建と伝えられ、中世に古座川河口左岸を支配した高川原(たかがわら)氏の住居がこのあたりにあったといわれています。高川原氏は色川郷に隠れ住んだ三位中将平維盛の子孫と伝えられ、高川原村(現古座川町高池下部)や古座浦(現串本町古座)を根拠地に、熊野水軍領主のひとりとして勇名をはせた豪族です。
境内に入ってすぐ目につくのが、高野山や那智山あたりでしか見られないような巨大な石塔群で、当地が江戸期にはこのような石塔を建立できるほどの有力者が居住した土地であったことがしのばれます。石塔の多くは由来が不明な墓石です。また境内には、今は珍しくなったカヤの巨木が数本植えられています。(2011.8.27)
祥源寺山門 |
巨大な石塔群 |
情報提供:古座川街道やどやの会
写真提供:市民の力わかやま
古座川町鶴川地区に数年前から地元有志が国道371号線沿いの遊休農地を活用して菜の花を栽培、約20アールの農地を鮮やかな黄色に彩る風景は、早春に古座川奥地を訪れる観光客の目を楽しませています。
この菜の花畑から国道をはさんだ山側に、『街道をゆくー熊野・古座街道』の著作があり、古座川の自然と風土をこよなく愛した作家、司馬遼太郎の山荘がひっそりと建っています。ここは旧庄屋宅だったところですが、ホテルに転用されそうになっていたのを古座川にふさわしい景観を守るためにと自ら購入、山荘を建設したというエピソードが伝わっています。(2011.2.25)
![]() 鶴川の菜の花畑 |
![]() 司馬山荘 |
情報提供:古座川街道やどやの会
平成22年3月、串本町古座の和歌山東漁協古座支所裏の町道交差点に、古座街道の起点を示す道路元標が設置されました。「これより上 古座街道」「下 大辺路街道」「右 古城山」「左 大辺路街道」と記され、40cm四方、厚さ2cmの真ちゅう製で、デザインは東京日本橋にある「日本国道路元標」を模してつくられました。
道路元標とは、全国に道路網を整備するための基準物として、旧道路法によって大正8年(1919年)に各市町村に1か所ずつ設置することが定められたもので、昭和27年(1952年)の新道路法施行にともない廃止されました。ほとんどが石柱で、和歌山県内には17個が現存しています。この場所には、かつて旧古座町役場があり、道路元標も設置されていましたが、たび重なる道路改修の中で、いつの間にか失われてしまいました。この場所はまた、江戸時代には紀州藩の高札場がおかれ、「札の辻」とよばれた往来の盛んだった場所で、地元民にかつての古座街道の賑わいと郷土史を意識してもらうことをねらって、新たに設置されたものです。
なお、現在の古座街道は和歌山県道38号線(すさみ古座線)をさし、司馬遼太郎が紀行文『街道をゆくー熊野・古座街道』で通ったルートもこの県道でした。しかし、明治39年に路線が大幅に変更されるまでは佐本〜朝来間も古座街道に含まれており、川舟の往来が盛んで、海岸廻りの大辺路よりも距離が短い古座街道が、新宮〜田辺間を結ぶ主要物流ルートとしての機能を担っていたようです。また、豊かな自然景観と古い街並の風情が残る古座街道は、朝日新聞が行った読者アンケートで司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズ中の「行ってみたい街道No.1」に選ばれています。(2011.5.10)
![]() 古座街道道路元標アップ |
![]() 古座街道道路元標 |
情報提供:古座川街道やどやの会
岩山の中に祀られている珍しい神社です。地元の廻船業者が、船が海難から救われたのを感謝してお祀りしたもので、明治時代以降の創建といわれていて、そう古くからあるものではありません。この背後の岩山は、名を「負岩(おいわ)」といい、近くにある「高池の虫喰岩」と同様に、古座川弧状岩脈に属する「流紋岩質火砕岩」から出来ています。(2009.8.19)
情報提供:古座川街道やどやの会
明治時代に創立された古座川町高池下部地区の青年会<互盟社>は、河内祭や神戸神社例大祭で演じられる由緒ある古座流の獅子舞を伝承しています。互盟社会館は当時としてはモダンな木造洋館で、注目すべきは玄関柱に古代ギリシャ風彫刻が施されています。石造物ではなく木彫であるところがユニークで、当時の大工の心意気が感じられる貴重な建造物になっています。(2009.7.15)
![]() 木彫りの玄関柱 |
![]() 外観 |
情報提供:古座川街道やどやの会
潜水橋の向こうにそびえる山は「三山冠(さんざんかん)」と呼ばれています。ちょうど「山」の字のように上が三つの峰に分かれていることから付いた名のようです。
古代中国の役人が冠っていた帽子も「三山冠」と言うそうです。それに似ているのでしょうか。
この山頂付近にはシャクナゲが咲きます。(2009.6.10)
情報提供:古座川街道やどやの会
「潜水橋」は欄干がなく、増水時には水面下に見えなくなるのが特徴の橋です。高知県・四万十川では「沈下橋」の名で知られています。古座川にも、中流の明神地区に潤野(うるの)地区とを結ぶ潜水橋が、農道としてあります。1961年完成した全長約90m×幅1.5mの橋で県内では数少なく、アマチュアカメラマンらの人気を集めていました。
しかし、2006年6月の大雨で古座川が増水、この潜水橋は橋脚10本が流され、約30mにわたって倒壊、傾くなどの被害を受けました。町では安全のため撤去を計画しましたが「古座川のシンボルがなくなるのは寂しい」「文化財とも呼ぶべき財産」などと、町民から保存を求める声が相次ぎました。その声に押されて、町は復旧を決定し、2009年3月完成しました。(2009.6.6)
壊れた潜水橋1 |
壊れた潜水橋2 |

復旧した潜水橋
情報提供:市民の力わかやま
復旧写真提供:古座川街道やどやの会
古座川町役場から一枚岩に向かう途中、月の瀬の道路脇に「ぼたん岩」があります。国の天然記念物「高池の虫喰岩」と同じく流紋岩質火砕岩が風水食を受けて虫が喰ったように穴がたくさん開いている岩です。この虫喰いの形がぼたんの花に似ていることからこの名が付きました。
月野瀬地区には昔から良質の温泉が湧き、古座川町は温泉宿泊施設を建設して「月の瀬温泉ぼたん荘」と名付けました。毎月第2日曜日に朝市を開催しています。野菜、漬物、田舎寿司、手作りお菓子、もち、干しシイタケ、干物など、山の幸から海の幸まで近隣から季節の旬のものが並びます(2009.2.7)
ぼたん岩 |
月ヶ瀬温泉ぼたん荘 |
情報提供:市民の力わかやま
国道42号線に並行して大辺路は進みます。伊串→西向→原町と進んで民家の横に小堂があります。この小堂には石仏が三体納められています。中央に地蔵尊、地蔵仏は高さ1.5メートル。享保5年(1720年)の建立です。向かって右は徳本上人の念仏塔です。上人が布教した全国各地に建てられたもので、文化10年(1813年)古座阿弥陀寺に留錫され、その後文政13年(1830年)に西向、神野川両村の念仏講の人達が建立したものです。左側には「法華塔」と記された1.5メートルの刻経塔が建っています。これらの石仏は、古から古道を行き交う人々を見守り続けてきました。(2008.9.18)
情報提供:市民の力わかやま
JR古座駅の裏手(北側)すぐのところに緑に包まれひっそりと成就寺があります。この寺には長沢芦雪の障壁画が残っているのが有名です。長沢芦雪は、宝暦4年(1754年) - 寛政11年6月8日(1799年7月10日)江戸時代の絵師で、円山応挙の高弟でした。天明6-7年(1786-87)、南紀に滞在した折、串本の無量寺、古座の成就寺、富田の草堂寺に計180面の障壁画を残しました。成就寺の襖絵45面は、現在和歌山市県立博物館に所蔵されています。(2008.9.13)
情報提供:市民の力わかやま
古座川町役場から近く、東へ500mほど行った道沿いにある岩山です。国の天然記念物と認識している人は少ないです。
流紋岩質火砕岩が風水食を受けて虫が喰ったように穴がたくさん開いていることからこの名があります。高さ約60mもあり、このような大規模なものは珍しいということです。直径10cm内外、深さ4cm〜5cmの穴が多いですが、中には1mを超えるものも少なくなく、空洞となっています。ここで、穴の開いた小石に糸を通して願かけすると耳の病気が治るという言い伝えがあります。(2007.4.30)
情報提供:市民の力わかやま
古座川町三尾川(みとがわ)の光泉寺では樹齢400年のイチョウの樹を拝むために板を3回叩くのですが、その音が見事な山彦になって返って来ます。近くの民家で飼われている犬の声も山彦になっています。(2006.5.16)

情報提供:わかやまインターネット市民塾
古座川町直見(ぬくみ)の幹線道路沿いで体験できる山彦です。古座川の支流、小川(こがわ)にかかる明神橋から400mほど上流、民家の少し手前です。一声で10回山彦が返ってくることもあります。
ただ、条件が大変厳しく、真冬の良く晴れた早朝に、500m以内に一台も車が走っていない状態で「やっほ」と短くハッキリと、ありったけの大声で叫ばなければ体験できません。(2006.5.15)

情報提供:わかやまインターネット市民塾
大樟(くすのき)は、南国から来た木という意味の楠(くす)と同じ木です。42号線から重畳山(かさねやま)へ向かう中ほどに樹齢700年近くの大樟が二本あります。幹の周が7mと8mもあって圧倒されます。(2006.3.31)
情報提供:わかやまインターネット市民塾
古座川町には信号がまったくありません。勿論、コンビニもありません。しかし、清流古座川を下るカヌーのレンタル料金は、1,000円/日・人と日本一安いのです。また、「街道を行く」の司馬遼太郎は古座街道を愛し、鶴川に別荘を持ったほどです。(2006.3.31)
※カヌーのレンタル料金は平成19年4月より2,000円に改定されました。(2008.1.28)
情報提供:古座川街道やどやの会
古座町は紀州藩直轄の鯨方があった捕鯨発祥の地と言われていて、僅かではありますが旧い民家も残る町です。また、応神天皇、ミツツオノミコト、そして河内様の祭神であるスサノオノミコトを祭る古座神社、雑賀党一門の武将山本善内之祐弘忠が天正9年に建立した善照寺などが歴史を偲ばせてくれます。善照寺には平安時代比叡山の僧、恵心作と言われる国指定重要文化財の「阿弥陀三尊像仏画」があります。(2006.3.31) (善照寺山門の写真を追加:2006.12.10)
情報提供:古座川街道やどやの会
源平の合戦に出陣した熊野水軍をほうふつとさせるお祭りです。毎年、7月24日の宵宮には法螺貝が響く中、古座港を出た古式豊かな3隻の御舟が古座川をさかのぼり、河内様(こうちさま)と呼ばれる川中の小島を夜半までまわり続ける夜籠り神事があります。まるで絵巻物を見るようなお祭りです。鯛島と古座川の河内様が夫婦で、一年一度7月24〜25日に会えることをお祝いするお祭りとの説もあります。三隻の御舟と古座青年会による獅子舞「古座獅子」は国の重要無形民俗文化財に指定されています。(2006.3.31)(写真追加2006.12.13)
情報提供:古座川街道やどやの会
串本から42号線を走り、古座川手前1kmで山側へ左折、林道を4km走ると302mの山上に出ます。山上には弘法大師が開祖といわれる神王寺と静かに立つ88体の石仏、そしてその奥に重畳山神社があります。何よりも素晴しいのは山上からの眺望です。南には眼下に大島、それを越えて太平洋が広がり、西には潮岬から続く枯木灘が連なり、北には熊野の山々、東には熊野灘が連なります。正に、正真正銘の絶景です。JR古座駅から往復10km、4時間の絶好のハイキングコースでもあります。(2006.3.31)
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