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道成寺

道成寺和歌山県下に現存する最古の寺で、701年(大宝元年)に建立されました。62段の石段を上り、朱塗りの仁王門(重要文化財)をくぐると、正面に本堂(重要文化財)、右手に安珍清姫伝説の鐘楼跡があります。宝仏殿には平安前期作の木造千手観音立像(国宝)や脇侍の日光・月光菩薩像(国宝)をはじめ、数々の文化財が安置されています。この寺には、若く美しい安珍に心を奪われた清姫が募る思いから大蛇となり、道成寺の釣鐘に隠れた安珍を炎で燃やし、自らは入水したという伝説が残っています。縁起堂では、住職が寺の縁起と安珍清姫伝説の絵とき説法(約20分、随時)を行っています。ここからの夕陽は和歌山県の朝日・夕陽100選に選ばれています。(2006.4.20)

料金 大人(中学生以上)600円、小学生300円(入山は無料)
時間 8:00〜17:00(境内のお参りは時間外も可)
定休日 なし
駐車場 門前にあり(有料) 観光バス可
TEL 0738-22-0543

耳より情報

ユーカリ等の山林

ユーカリの山林日高の山は杉や檜で植林されている所が多いですが、少し変わった照葉樹の山林も結構みられます。種類としては、スダジイ、ウラジロジイ、ウバメガシ、アラカシなど樫の木の仲間が多いです。
 中でも、高速道路の湯浅御坊道路の川辺第2トンネルの南側出口すぐの東側、通称「オクボ山」の西斜面に他の山々とはちょっと違う面白い植生が見られます。これは「ユーカリ」。天王寺動物園のコアラの餌としてユーカリは日高川町の森林組合産の手によって20年ほど前からこの地で育てられています。成長の早いユーカリは既にかなりの大木になっていて、やや薄い緑色で風になびくと少し銀色に輝いて見えます。(2008.1.8)

情報提供:市民の力わかやま

徳本上人生誕の地

江戸時代の念仏行者で全国的にも高名であった徳本上人は、ただひたすら「南無阿弥陀仏」を唱え日本各地を行脚し、庶民の苦難を救った清貧の思想の持ち主です。上人は、宝暦8年(1758)和歌山県日高町久志の農家に生まれ、幼名は三之丞といいました。生家「誕生院」と関係の史跡が、道成寺と42号線を挟んで距離的にも反対側に残っています。
 上人は、4歳の秋、遊び友達の死に驚き嘆かれた時の母の教え「阿弥陀仏に頼り、お念仏を唱えれば極楽浄土で友達に会うことができます。」が幼子の心の奥底に刻みこまれ、厳しい修行と行脚の生活を12年も続け、悟りを開いたと言われています。(2007.11.27)

徳本上人の生家
徳本上人の生家「誕生院」*修復工事中です
上人の念仏修行場
徳本上人の念仏修行場

情報提供:市民の力わかやま

高家王子(たいえおうじ)

熊野古道と国道42号、JR紀勢本線が最も近づくところにあるこの王子社は、有田郡から日高郡への入り口ともいえる場所で、この王子社から紀南河川国道事務所の管理範囲になります。「中右記」には「大高王子」、「源平盛衰記」には「高家王子」と記されていて、格式が高い王子社でした。
 境内には、熊野本宮大社など県内の大きな神社によく見られた「長床」という修験者の集まる施設があり、紀北と紀南を結ぶ熊野信仰の一大拠点であったことを物語っています。また、建仁元年(1201)、後鳥羽上皇の熊野詣に随行した藤原定家がこのあたりで詠んだと思われる和歌の歌碑もあります。現在は内原王子神社に祀られています。(2007.11.15)

高家王子
高家王子
高家王子跡
高家王子解説板

情報提供:市民の力わかやま

岩内王子

岩内王子海士王子のすぐ南のJRきのくに線の踏切を渡り、湯川子安神社の側を通り東南東へ進み、野口新橋を渡ります。日高川に沿って下り、御坊大橋で日高川を渡って最初の王子が岩内地王子です。この岩内王子が文献にはじめて登場するのは熊野御幸記(ごこうき)で 、「河を渡りていわうち王子に参る。此辺りの小家に入る。」と記されています。
 旧道に沿った岩内コミュニティセンターの敷地内に王子跡の「焼芝王子神社旧跡」と書かれた石柱が立っています。本来の社地は日高川の中にあったと言われ、岩内王子は焼芝(薬師場)王子とも呼ばれていたからです。也久志波王子とも書き、 明治41年熊野神社に合祀されました。(2007.10.15)

情報提供:市民の力わかやま

海士王子

クハマ王子海士(あま)王子は、くまは・くわま・クリマなどと呼ばれ、由緒ある王子社であったと言われています。昔はこの辺まで海で、ここで海女さんが海から観音様を拾い上げ、その観音様が道成寺にお祀りされていると言われています。そして、この王子から、JRきのくに線の線路が見えるのです。
 愛徳山王子が八幡山の北の麓、この王子は南の麓にあったそうです。九海士とか海士とかの表示は近世の事であったようで、久和万、クワマ、桑間崎王子等と表現されてきました。
 明治41年、前の愛徳山王子と共に近くの八幡神社に合祀され、九海士王子社にあった宮子姫像は道成寺に祀られているそうです。(2007.10.13)

情報提供:市民の力わかやま

愛徳山王子

愛徳山王子愛徳山(あいとくざん)王子へは善童子王子から少し広い道に出て100m程南の四差路を左折、家の間の狭い道は100mほどで広い道に出ます。300m程行くと右に花壇、三叉路の古道標識のあるところから家の間の幅50cm程の細い道を進みます。そこから畑の中を10m程行き、右から左に狭い道を進み竹藪の中に入っていきます。昼でも一人だと気味が悪いような薄暗い竹薮を150mほど行った右側奥に10a程の広場があります。その広場の奥に愛徳山王子跡があるのです。神名の愛徳は「アタギ」とも読み、地名の阿多木原からこの名になったと伝えられています。(2007.10.12) 

愛徳山王子への道標
道成寺周りの三王子への道標
愛徳山王子への竹薮
愛徳山王子はこの竹薮の奥に

情報提供:市民の力わかやま

善童子王子

善童子王子国道42号線からJR紀伊内原駅すぐ北の東へ行く道に入り、県道27号線を南東へ約2km進むと、富安王子とも言われる善童子王子(ぜんどうじおうじ)の小祠の前に出ます。連同寺王子、田藤次王子、伝童子王子、出王子、出童子また若一王子と呼ばれ、人間の耳のあいまいさに加え紀州の人々の発音の特徴を物語る呼び名が一番多い王子です。善童子神社として祀られ、「よい子の神社」とされています。
 この王子の格式は、五体王子に次ぐ准五体王子の一つで、大般若経六百卷を蔵する大社であったと伝えられています。従って、神社の前庭はかなりのスペースがあって、昼食などの休憩にちょうどよいところです。明治42年、湯川神社に合祀されました。(2007.10.9)

情報提供:市民の力わかやま

お土産屋さんや朝市

道成寺の朝市道成寺門前のお土産は釣鐘まんじゅうです。作りたてのおまんじゅうが食べられます。空き地では金・土・日の朝5:30〜10:00まで文字通りの朝市が開かれています。地元の新鮮な野菜・果物などが売られています。(2006.3.31)

写真追加(2007.7.28)

情報提供:わかやまインターネット市民塾

ジャンジャカ踊り

鐘供養の会式(えしき)で、安珍・清姫伝説に基づいて昭和46年から始まった安珍の鎮魂祭が毎年4月27日に行われます。大蛇が日高川堤や町を練り歩き道成寺の石段を駆け上がって、鐘にとぐろを巻きます。(2006.3.31)

情報提供:わかやまインターネット市民塾


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